大手町勤務されていて、リタイアされた後も電車でわざわざいらしていただける患者さんが結構いらっしゃる。横浜から来院されるAさんもその一人だ。初診は今から7年前にさかのぼる。
左上の臼歯を失っていたAさんは、なんとしてもインプラントでの治療を希望されていたが、蓄膿症の時に膿がたまる場所である副鼻腔内に広範囲な炎症らしきものがCTにより確認されてしまった。
今では、多くの医院で行われている副鼻腔内の骨造りは、7年前の当時、まだごく一部の歯科医しか行っていなかった。九州の糸瀬先生に相談したところ、副鼻腔内の炎症を口腔外科なり耳鼻科なりでとってからでないと、できないだろうと言われ、大学病院の口腔外科に紹介した。しかし、炎症の除去は困難との返答であった。
インプラントをあきらめたまま数年が経過したある日、福岡ドームの近くのホールで耳鼻科医による「耳鼻科からみた歯科インプラントのための副鼻腔内造骨手術」との演題で講演が行われた。演者は横浜市立大学病院の先生であったので、Aさんのご自宅とも近いため、その先生にAさんを紹介させていただいた。
耳鼻科の先生の返答は、副鼻腔の中に見えるのは炎症ではなくもともと骨の内側にある粘膜の肥厚なので、造骨手術は可能とのことだった。しかし失敗すれば顔がスイカのように腫れるほどの症状を起こす事例も聞いていたので、耳鼻科の先生のお墨付きがあるとはいえ、手術は躊躇した。Aさんは「別に失敗しても死ぬわけでないなら、先生やってください。失敗しても恨むようなことはしません。先生にやってもらいたいんです。」との言葉をいただいた。
当日は気合入りまくりで緊張はほとんど吹き飛んだ状態で手術を終えた。心配された術中の膿や、術後の腫れもほとんど無く、6ヶ月後のインプラント埋入から被せ物の装着まで無事に終えることができた。Aさんの7年越しの思いを達成できた瞬間だった。
「長谷川先生、松翁会辞めないで下さいね。先生辞めたら、私死んじゃいますから。」と大袈裟なセリフをおっしゃるAさんであったが、こちらはAさんのおかげでずいぶん勉強させてもらった。
歯科医はワーキングプアーで人気のない職業と言われてきているが、仕事の内容そのものは繊細で魅力あるものだと思うし、脳外科出身の友人も「おまえらのやっている仕事の方が、俺らより尊いよ。」などと言ってくれる。Aさんほどにはいかないとしても、いかに多くの患者さんに信頼してもらえるか。私が歯科医として人生を全うできるかどうかは、患者さんが決めることを肝に銘じたい。
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